みなさんは「ポリアモリー(Polyamory)」という言葉をご存じでしょうか?
あまり耳慣れない言葉だと思います。わたしも最近はじめて聞きました。定義としては「複数人と合意の上で性的な関係を築くこと」だそうです。
もう“不倫”は時代遅れ?! 複数人と性愛関係を築く「ポリアモリー」とはあなたは同時に複数の人を愛したことがあるだろうか。浮気でも不倫でもなく、複数人と性愛関係を築く新たな恋愛スタイル「ポリアモリー」。SHELLYがMCを務める『Wの悲喜劇~日本一過激なオンナのニュース~』では「たくさん愛しちゃダメですか?~ポリアモリー・不倫・結婚てナニ?~」をテーマに、実際に複数人と関係を持つ当事者たちが赤裸々に語った。
現在3人の男性と交際中だというけいさん(仮名)は複数の恋人それぞれに、複数交際ということをオープンにしている。さらに、恋人のうち1人の男性には、けいさん以外にも彼女がおり、その彼女もけいさんと付き合っていることは認知しているという。
彼女がいるのにセフレがいる……これも複数人と性的な関係を築くことですが、ちょっと違います。彼女がいるのを知っていながらセフレになるケースはそう珍しくありませんが、常識的な彼女であればセフレがいると知れば怒るのが当然です。
この場合、彼女の合意がとれていないので、この状況はポリアモリーとはいえません。
きちんと「関係する全員の合意」をとった上で、複数人と性的な関係を築くことがポリアモリーなのです。
隠せば不倫になるが、オープンにすればポリアモリー
彼女や妻がいながら、違う女性とセックスをする。これは浮気や不倫と呼ばれる行為で、社会的には忌み嫌われる行為だとされています。
そもそも、なぜ浮気や不倫はいけないことなのでしょうか?
わたし個人の考えでは「被害者が存在する」からいけないことなんだと考えています。浮気や不倫をされた側は、傷つきます。愛する恋人や配偶者に騙され、裏切られたショックを味わうことになります。
日本の法律においても、浮気や不倫を直接罰しているわけではありません。あくまでも「相手に損害を与えた」ことによる不法行為という解釈がなされています。
「自分の行為が他人に損害を及ぼすことを知っていながら、あえて(故意に)違法の行為をして、他人の権利や法律上保護される利益を侵し損害を与えた者は、その損害を賠償しなくてはならない。また、不注意(過失)による場合も同様である」
(民法第709条 不法行為による損害賠償)「他人の身体、自由若しくは名誉を侵害した場合又は他人の財産権を侵害した場合のいずれであるかを問わず、前条の(民法第709条)の規定により損害賠償の責任を負う者は、財産以外の存在に対しても、その賠償をしなければならない」
(民法第710条 財産以外の損賠の賠償)
家庭裁判所で命じられる慰謝料支払いの法的根拠となっているのは、上記の法律によるものです。条文には「浮気」や「不倫」という文言はいっさい使われていません。
つまり、損害を与えられたと感じる被害者が存在しなければ、浮気や不倫は不法行為とはならないのです。
ポリアモリーの考え方ではそもそも全員が合意の上ですから、いくら浮気や不倫をしようが被害者が存在しないのです。というより、浮気や不倫という言葉がそもそもそぐわないのです。
浮気や不倫はあくまでも「正式なパートナーの異性」がいるからこそ成立する言葉です。ポリアモリーにおいては交際相手に上下の序列はなく、全員がフラットであることが理想とされています。
複数人と性的な関係を持つ、というと「ふしだら」で「だらしない」イメージがあるかもしれませんが、ポリアモリーの実態はそれと真逆で「きちんとした」交際をしている人がほとんどだそうです。
それに、ポリアモリーについてアンケートを採ったところ、理解できると答えた人が過半数を超えた事実もあります。
最近では急速にLGBTを認める風潮が広まっていますし、その次はこのポリアモリーが新しい愛のかたちとして広まる日がくるかもしれません。
浮気や不倫と違う、3つの理由
隠れて複数人と性的な関係を持つのが浮気や不倫。すべてをオープンにした上で複数人と性的な関係を持つのがポリアモリー。
概念としての違いは上記のみで説明できてしまいますが、実際のところはどう違うのでしょうか?
ポリアモリーの人(ポリアモリストとも)の人が答えていた、浮気や不倫とポリアモリーの3つの違いが興味深かったので紹介したいと思います。
理由その1.罪悪感からの解放
まず一番大きかったのは、パートナーに対してウソをつくことに対して感じていた罪悪感から解放されたことについての喜びなんだそうです。
「複数人の人を愛したい」気持ちは、多かれ少なかれ誰しもあるものでしょう。自分は「ひとりの人のしか愛せない!」という人もいるかと思いますが、それは一夫一婦制が当たり前となった社会だからこそ生まれた通念に囚われているともいえます。
過去の歴史を振り返れば、一夫多妻制をとる国や集団は数多く存在しました。そもそも、効率だけで考えればそちらのほうが圧倒的に優れているのですから当然です。
女性はより優れた精子を持つ男性に惹かれるように「設計」されています。人類全体で人間という種族の進化や向上を考えれば、優れたスポーツマンや文化人の精子を一人の女性しか残せないのは、圧倒的なリスクでしかないのですから。
しかし、今の時代は一夫一婦制が正しいものとされています。本能だけで見れば、より優れた精子を欲しがる女性や、より多くの種を残したいと考える男性は正しいのです。
それでは社会が混乱してしまうから、との理由があるからこそ、理性によって抑えられているだけなのです。
つまり、人間は本来「複数人を愛すること」は正しいといえるのです。
「人を愛したい気持ち」を浮気や不倫というカタチでしか表現できずに心苦しさを感じていた人が、心を傷めずに人を愛することが可能になるのがポリアモリーという選択なのです。
その2.より強固な信頼関係を築ける
大切な人だからこそ、すべてを包み隠さずに自分の本心を見せたいと考えるポリアモリストも多いのだとか。
恋人や夫婦のあいだで隠し事があるとしたら、それは「異性関係」か「お金の話」と相場が決まっています。
いくら長年連れ添ってきて近所から評判のおしどり夫婦であったとしても、過去にひとつやふたつくらいはパートナーに話すことが出来ない異性がらみの過去があることでしょう。
結婚する前は何十人とセックスしたビッチだったかもしれませんが、それをわざわざ確認するのは野暮というものです。
ビッチだった事実を墓場まで持っていく気持ちだとしても、相手にいえないこと……隠し事があるのは同じことです。
ポリアモリーであれば、少なくとも異性関係に関してはなにも隠す必要がありません。なにもかもをオープンにするのが前提な関係なのですから、もし過去についても聞かれたら堂々と答えるだけなのです。
その3.相手を傷つけずに済む
どんなに「自分は浮気なんてしない!」とここに決めていたとしても、人間は状況次第でいくらでも魔が差してしまうもの。
飲み会の席で若くてかわいい新入社員の部下に胸をぐっと押し付けながら腕を抱かれ、耳元で「これから二人っきりになりませんか?」とささやかれたとしたら……はたして何人の男がきっちりと断り切ることが出来るでしょうか。
もしそんな「過ち」を犯してしまった場合、隠すしかありません。バカ正直にパートナーに事実を伝えるのは、相手を傷つけることにしかならないとわかっているからです。
これは配慮や優しさでもあります。浮気をする人のすべてがゲスなわけではないのです。
ポリアモリーであれば、少なくとも男女関係で相手を傷つけることはなくなります。もし、あったとしてもそれは事前に相談できる話です。
ポリアモリーだからといって「何でもあり」なわけではないですからね。人それぞれ傷つくポイントは違いますので、お互いに伝え合うのがマナーだとされています。
そうすることで相手や自分の痛みに寄り添いながら、向き合ってより親密な関係を築けるのです。
ポリアモリストでも、嫉妬はしてしまう
わたしがもしポリアモリストになったとしたら……と、想像してみました。
まず考えたのは「嫉妬をしてしまうのではないか」ということです。いくらオープンな関係で、合意の上だとはいえ、愛する人が自分以外の男とセックスしていることを意識するのはつらいものです。
これが不倫相手であれば別につらくともなんともないんですけどね……。正式なパートナーであれば旦那とセックスをしても当然のことですし、恋人として不倫相手を愛しているわけではないので、旦那に嫉妬したことはほとんどありません。
しかし、自分が愛してる人であればやはり話は別です。実際、多くのポリアモリストも嫉妬を感じてしまったことがあるそうです。
ポリアモリーにはマニュアル本が存在しており、その本の中では「嫉妬や辛さを感じた時はひとりで抱え込まず、パートナーに相談すること」が奨励されているんだとか。
そして、パートナーと一緒に専門家のカウンセリングを受けることが多いんだとか。なんとも興味深い話ですよね。
浮気や不倫で悩んだ時、それを誰かに相談できるなんてことは考えもしませんでしたからね。隠し事である以上、すべてを自分で抱えて自分で解決するしかないのです。
その点、パートナーと何でも共有できるポリアモリーは素晴らしいものだと感じましたね。
「嫉妬」は7つの大罪のなかにも入っているように、一般的には「みっともない感情」だとされています。しかし、ポリアモリストは嫉妬を排除するのではなく、うまく付き合おうとするのだそうです。
- 「わたしは嫉妬を感じるほどこの人を愛しているのか」
- 「もっと心を開いて話し合いが必要なのではないか」
- 「自分はこれからも、本当にこの人とうまくやっていけるのか」
と、自問するきっかけにしたり、関係性を見直すきっかけにしたりするんだとか。ポリアモリストは真面目で誠実な人が多いのもうなずける話です。
結婚したら他人を愛してはいけない……それっておかしくない?
ポリアモリストになったきっかけとして、結婚制度そのものについて違和感を覚える人も多いんだそうです。
「結婚をしたら、その人以外を愛してしまえば罪になる」
たしかに、冷静に考えてみたらおかしな話です。人が人を愛する気持ちは、尊くて素晴らしいものだと思います。それなのに、結婚という制度のせいで、その気持ちが制限されてしまうのはおかしいのでは? と考えるわけですね。
これについてはわたしも強く同意しますね。男が35億人いるように、女だって35億人いるのです。その中から1人だけしか愛してはいけないなんて、おかしな話だと思いませんか?
真剣な気持ちで複数人の人を愛してしまうことは決しておかしなことではありません。もし2人の女性を同時に愛してしまった場合、どちらか1人だけを選べというのは酷な話ですよね。そして、このシチュエーションはさほど珍しいものではないと思います。
しかし、今の一般社会においては1人を選ぶことしか許されていません。日本政府が一夫一婦制を採る以上、複数人を同時に愛することは不貞行為とされてしまうのですから。
そんな制度に疑問を持った人たちが、ポリアモリーを選択しているのです。きちんと全員の合意をとった上での関係であれば、不貞行為にはあたりませんからね。
そもそも、愛のかたちまで「これ以外はダメ」と決めつけられるのもおかしな話なのです。100人いたら100つの愛のかたちがあるはずなのですから。誠実で真剣な気持ちであれば、複数人を愛することのなにが悪いのでしょうか?
ポリアモリストを探すには出会い系がうってつけ
わたしはすでに妻帯者となってしまいましたので、今からこのポリアモリストになることはなかなか難しいです。もっと昔にこの概念を知っていれば、ポリアモリーを選択していたかもしれません。
しかし、「よし! 今から俺はポリアモリストになろう!」と考えたところで、いきなりなれるわけではありません。
ポリアモリーを満喫するためには、同じポリアモリストのパートナーが複数人必要になってくるのです。ただでさえマイナーな存在なのですから、普通の生活をおくっていればまず出会えることはありません。
そこで活用したいのが、出会い系なのです。

プロフィールに「ポリアモリー」や「ポリアモリスト」という言葉を入れておけば、同じ考えの人があなたに声をかけてくれるかもしれません。
あるいは、あなたのほうから同じように探してみるのもいいでしょう。色んな人が色んな理由で登録している出会い系は、まさにポリアモリストの聖地とも言える場所なのですから。